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私の英語(というより外国語)学習歴

英語教育ブログみんなで書けば怖くない!企画(http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301/p1)に参加します!


最近、自分の英語のBrush upできていないのでトホホなんですが・・・

えーと、以前どこかで書いたような気がしなくもない内容です。
度々のお目汚しになっていたらごめんなさーい。

そして長い!
生きてる年数が多いのでやたらに長いっ!






私は父親から多大な影響を受けていて

-父親はずっと単身赴任で7歳~結婚するまでほとんど一緒に暮らしておらず、手紙のやりとりくらいでしか意思疎通をしていないのにもかかわらず-

語学を勉強するのはmust doのひとつでした。
それも本来、英語じゃなくて「女はフランス語、男は中国語を話すと最も美しい」と言われていたんですね~。
(根拠不明)
父は旧制中学が最終学歴で、英語を使うような仕事にもついていないのですが、なぜか英語が話せました。子供のころの記憶なのでどの程度かは今となっては分かりませんが、英語でだれかを助けていた記憶があるし、どこかで習っていたんじゃないかという記憶も。


だから、父のイメージは「英語はできて当たり前+フランス語」だったんでしょう(たぶん)。


私の英語との最初の関わりは、父親が買ってくれた英単語が白黒の絵つきで載っている本です。
(おそらく小4のとき)それを見ながら自習したのが初めての英語学習。
たぶん英語にカタカナがふられていたのでしょうね。自習と言ってもペラペラめくるくらいだったかと思います。

5年生になって、なぜか、全く英語を話せない母が「テレビ英会話」(確か東後勝明さんの)を見始め、私も一緒に見ることになります。ソノシート付きのテキストも買って気合いを入れてみはじめたのですが、実際に見ていたのは多分1ヶ月くらい。なぜかというと

Excuse me? Yes.
Where's the Diet Building? Pardon?
Where's the Diet Building? Let me look it up into the dictionary.(だったかな?)

この後、覚えてないんですよね~。「わからなくなっちゃった」という記憶がかすかにあります。
当時、Diet buildingがなにか、写真つきだったにもかかわらず、国会議事堂だと知りませんでしたw



中学時代
10クラスもあって、先生が二人いらっしゃって、私は「当たり」の(!)発音がネイティブなみな&厳しい女の先生でした。(秋山先生~、もう連絡も取れないけれど大好きだった)いっつも

「読んで~読んで~、書いて~書いて~、やってるか~?」

って言ってはったわ~。毎回、前時の復習書き取りがあって頑張った。
発音では(当時珍しく)小学生のうちから英語を習っていた子に勝てなかったけれど
たぶん成績はとてもよかったと思います(笑)。
で、変人serenaは、その後、友達と英語で交換日記を始めます。数年前にそれが発掘されて(!)ペラペラ読んでみたけれど、笑うしかない英語です。
懲りない私は、次に、交換日記をしていた友人とともに、今度はフランス語の学習書を買いに行きます(多分これは中2のとき)。しかし、三日坊主体質はかわらず、フランス語学習はアッというまに頓挫します。

一方で、私はスピーチコンテストに出るように言われて、他の3人とともにその特訓を受けます。
私はRecitationではなく、Speechのほうだったので作文するのですが、英作は先生でしたw
それをひたすら覚えて、発音を治される。
最後には先生はあきらめてこう言いましたね。

「発音、どうにかならんのかと思ってたけど
大統領候補もそんな話し方してたから、それでええわw」

ちょうど、大統領選の真っただ中でニュースで候補(カーター、フォード)のスピーチがよく流れていた時期でした。年齢がばれる(--;
練習の甲斐あって地区予選突破し、県大会で玉砕します(笑)!
当時の、ALTなんていない時代に、外国人が教べんをとっていた近江兄弟社中学校の子たちの自然なスピーチに「あれでは勝てない」と挫折感よりもびっくり仰天したことが昨日のことのようです。



高校時代
高校生になったserenaは英語の予習=そのセクション暗唱、という荒業で学校英語を乗り切る一方、高3のときに京都駿台予備学校にてFuture husbandをゲット、ではなく、表三郎先生から「英語の構文はこう読みとるのだ!」ということを初めて学び、名前忘れた英作文の先生に「日本語をまず砕いてから英語にするのだ」ということを学ぶのであります。


   これはのちに、別々の時期に同じく駿台に行っていたHelenちゃん、ヘレダンちゃんとともに、
   「高校の先生はいったいなに教えとったんじゃー」とぼやくネタになるのであります。
   すべての先生に当てはまるわけではないと思います、はい。念のため。


目からうろこの英語の授業。ビバ駿台! 休みの講習では伊藤先生からも授業を受けた(はず)。

の割には、始まって2年目の共通一次試験の英語はなんで?というほどひどかったですけれど、結構長い英作文のある二次試験は「よっしゃー」な書けようで(自己評価w)見事、イタリア語科に入学~(あれ?フランス語じゃないの??)


大学時代
今は亡きOUFSは1年から専攻語が6コマ。すべて通年授業、一個落としても留年ケテーイ、な恐怖政治(違)がしかれておりました。
英語どころやあらしまへんねん。

実際、留年する人いっぱいいましたw

イタリア語がうまくなるほどに英語が下手になる現実w
ただ、私は国際電話のオペレーターの仕事を2年生から2年間することになり、電話用語として韓国語と中国語を習ったり、その他の国へは英語がベースで、使う機会はあったのですね。
で、4年の夏にイタリアに行って、ここが私のイタリア語のピーク。以降、下がるばかり・・・




社会人時代~
プログラマとして就職。(なのに、総務課長に「serenaさん、プロフィールって英語でなんて言うの?」とか変な質問を出身大学名でされちゃう私w)
結婚、子育てしながらたまーに友達からもらう翻訳の仕事(イタ語か英語)。
旦那に帯同して、1年4カ月メリーランド州滞在。習うより慣れろ時代。

帰国後
アメリカから帰ってきた直後よりも、その数年後のほうが格段に聞き取り力が伸びた。
原因はズバリ、Sitcomのディクテーション。
何回も聞いたし、なにより、NiftyserveのFENGフォーラムで仲間がいたので続いた。
音読もめっちゃしました~。

自宅で教えるだけでなく、Z会の添削指導員、エンカレッジの質問に答える仕事、教材の校正などしていたので文法力が大幅にアップした時期。
会話力を維持しようと○オスとかに何年も通ったけれど、あんまり勉強にはならなかったな~w


今は、時間があったら文献読め、な感じなので、なかなか「英語学習」が進まないですね。
どうしたらいいんだろう、って真剣に悩んでいます。










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プロフィール

serenabaglioni

Author:serenabaglioni
博士後期課程(応用言語学)在籍中。
もうすぐD3おわっちゃうのに、何もできてなくてやばい。
いい年してARASHIラブ(元々ジャニオタ)
   →「趣味の世界」へ
2010年4月から某所で働きます。

人間が好きになる名言集


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